伊地知星歌でスティール・ボール・ラン・レース

@Abe_shinzou / 更新: 2026/03/21 20:31
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 何故、こうなった?

 渇いた風が頬を叩く。視界の端から端まで広がるのは、見渡す限りの荒野、そして彼方に見えるテーブルマウンテン。太陽は容赦なく照りつけ、私の肌をジリジリと焦がしている。

 私の名前は伊地知星歌。下北沢のライブハウス「STARRY」の店長をやっているはずの人間だ。

 記憶を辿る。確か昨晩は、STARRYでのライブ後、打ち上げの流れだったはずだ。

 あの日、ステージの上で輝く結束バンドの面々、特に妹の虹夏や、あの陰キャのぼっちちゃんまでもが、眩いばかりの青春の光を放っていた。その光があまりにも強烈すぎて、三十路手前の私の心にある「青春コンプレックス」という名の古傷が疼いたのだ。

 たまらなくなって、私は廣井、それにPAを巻き込んで飲み明かした。安酒を煽り、煙草をふかし、最後はSTARRYビルの三階にある自宅のソファーで、文字通り泥のように眠った────いや、あの感覚は「死」に近かったかもしれない。

       ☆★☆☆★☆

 そして、目が覚めるとここだ。

 千八百九十年代、アメリカ大陸。

 ……なんでだよ。

 意味がわからない。二日酔いの頭痛にしてはリアリティがありすぎるし、夢にしては太陽の熱が痛すぎる。

「ニョホホ」

 呆然と立ち尽くす私の耳に、奇妙な笑い声が飛び込んできた。

 声の主は、カウボーイハットを被り、奇抜な服装をした男だった。ニッと笑った口元には、金歯。しかもそこに『GO! GO! ZEPPELI』という文字が刻まれている。

 ファッションセンスが前衛的すぎる。下北沢でもこんな奴は見かけない。

「おいおい、こんなところで倒れてると危ないぞ。ハゲタカの餌になっちまう」

 男はそう言った。言葉は英語だった。

 だが、意味は理解できた。店長としてのスキルアップのため、こっそりと駅前の英会話教室に通っていた努力が、まさかこんな異世界(?)で役に立つとは。月謝を払った甲斐があったというものだ。

「あ、ああ……すまない。少し、頭を打ったみたいでな」

 私は咄嗟に英語で返した。男────ジャイロ・ツェペリと名乗った彼は、不思議そうな顔で私を見ている。

 近くに落ちていた新聞を拾い上げる。日付は千八百九十年。記事の内容は、私の知る歴史とは微妙に、しかし決定的に異なっていた。

 ここは、私の知る過去ではない。並行世界か、あるいは精巧な夢か。

 焦りが募る。支離滅裂なことを口走りそうになる私を、ジャイロは「マジで頭大丈夫か?」という目で見つめてきた。

 帰りたい。切実に、あの薄暗くて落ち着くSTARRYの事務所に帰りたい。

 どうしたものかと頭を抱えていると、ジャイロがおもむろに歌い出した。

「ピザ・モッツァレラ~♪ ピザ・モッツァレラ~♪ レラレラレラ~♪」

 ……なんだこの曲は。

 歌詞はチーズの名前を連呼しているだけ。メロディも単調。だが、妙に耳に残る中毒性がある。

 しかし、元バンドマンとして、そしてライブハウス店長として、このリズムの甘さは看過できなかった。

「おい、そこ。リズムが走ってるぞ。もっとタメを作れ」

「あん? なんだお前、音楽がわかるのか?」

「一応、プロを目指してたこともあるんでな」

 ジャイロは目を輝かせた。「じゃあバンド組むか?」と、軽いノリで言われた。

 断ろうと思ったが、路銀がないことに気づく。この時代、金がなければ野垂れ死ぬだけだ。

 私は近くの親切なホームレス(というより流れ者)から、ボロボロのアコースティックギターを譲り受けた。弦高はめちゃくちゃだし、ネックも反っているが、調整すれば弾けなくはない。

 久しぶりに、人前でギターを構える。

 ジャイロの謎の歌に合わせて、私は伴奏を始めた。

 カッティングで鋭いリズムを刻む。コード進行はシンプルだが、ブルーノートを交えて泥臭いブルースのニュアンスを加える。

 ジャイロが鉄球を回転させ、それが空気を裂く音がパーカッション代わりになる。

 私の指先が、錆びついた弦の上を滑る。ハンマリング、プリング、そしてチョーキング。弾く。音が鳴る。弦が軋む。弦が唸る。

 即興のセッションだったが、これがなぜか現地のカウボーイたちにバカ受けした。

「スゲェ! なんだよその技術は!?」と驚かれたが、まあ、数十年分────いや百年くらいは進んでいる奏法だろう。

 結果、なにやら見るからに恰幅の良い金持ちにもウケたおかげか、帽子の中には千二百ドルもの大金が集まっていた。

「やるじゃあねーか、女。名前は?」

「……星歌だ」

「セイカか。いいグルーヴだったぜ」

 この金で当面の食い扶持は確保できた。そして私は、この国を揺るがす一大イベントを知ることになる。

 スティール・ボール・ラン・レース。   千八百九十年九月二十五日午前十時、サンディエゴビーチをスタートし、ニューヨークを目指す総距離六千kmの北米大陸横断レース。優勝賞金は五千万ドル。

 主催者のスティーブン・スティールとかいう男が演説しているのを見て、私は決意した。

 元の世界に戻る方法はわからない。だが、じっとしていても始まらない。

 それに、五千万ドルあれば、STARRYの機材を一新できるし、虹夏に美味いものでも食わせてやれる。

 ……いや、戻れればの話だが。

 私は参加を決めた。

 なけなしの金で馬を買った。たてがみが金色で、どこか愛嬌のある馬だった。私は迷わずその馬を「ニジカ」と名付けた。

「頼むぞ、ニジカ。お前だけが頼りだ」

 馬のニジカはブルルと鼻を鳴らした。まるで「任せてよお姉ちゃん!」と言っているようで、少し目頭が熱くなった。

 乗馬経験など皆無だったが、跨ってみると意外となんとかなった。かつてバイクを乗り回していた感覚に近い……わけがないのだが、どうやら私には隠れた乗馬の才能があったらしい。勢いで誤魔化すのも、バンドマンの処世術だ。

       ☆★☆☆★☆

 レースが始まった。

 六千kmの長旅だ。最初はジャイロと並走していたが、レースの展開上、別行動をとることになった。

「お互い、生きてニューヨークで会おうぜ」

 そう言い残し、ジャイロは愛馬ヴァルキリーと共に駆けていった。

 私は特に高順位を狙うわけでもなく、しかし脱落するわけでもなく、中団グループを維持していた。

 途中、ポコロコという黒人の男と一緒になった。「俺は五十億人に一人のラッキーボーイだっ」と豪語する彼は、大して努力もしていないのに、なぜか最適なルートを選び、障害物を回避していく。

 コイツの後ろをついていけば安全なんじゃないか?

 そんな打算で走っていると、今度は素足で大地を駆けるサンドマンという男を目撃した。馬より速い人間とか、ぼっちちゃんのギターソロより意味がわからない。この世界はどうなっているんだ。

 レースが進むにつれ、きな臭い噂が耳に入ってきた。

 なんでも、とある「聖人の遺体」を巡って、参加者や国が争っているらしい。

 冗談じゃない。私はただのライブハウス店長だ。オカルトや陰謀に巻き込まれるのは御免だ。PAのミステリアスな雰囲気だけでお腹いっぱいである。

 私は極力、トラブルを避けて進むことにした。  あるチェックポイント付近で、ジャイロと再会した。彼の隣には、下半身不随の元天才騎手、ジョニィ・ジョースターがいた。

「おお、セイカ! 生きてたか!」

「なんとかね。そっちは相変わらず派手な格好だな」

 ジャイロはジョニィに私を紹介した。

「こいつはセイカ。スタート前に俺とバンド組んだ仲だ。俺のボーカルとこいつのギター、マジで最強だったぜ」

 ジョニィは、死んだ魚のような、漆黒の意志を宿した目で私を見た。

「へえ……。バンド、ですか。ジャイロと、ねえ。……凄いですね。うん! 本当に凄いと思う。マジで」

 ……なんだその、取ってつけたような称賛は。

 言葉の端々に「興味ないけどとりあえず褒めておくか」というニュアンスが滲み出ている。

 こちとら客商売だ、そういう社交辞令には敏感なんだよ。

「あ、ああ……どうも」

 心外だ。ぼっちちゃんならもっと挙動不審になりながらも、心からのリスペクトを向けてくれるはずだ。この男、目は綺麗だが性格はねじ曲がっていそうだ。

 その後、ディエゴ・ブランドーとも遭遇した。

 イギリス競馬界の貴公子と呼ばれるだけあって、その美貌とカリスマ性は圧倒的だった。だが、性格は最悪だった。

「おい、そこの女。邪魔だ。その駄馬ごと退きな」

「あぁ? 誰に向かって口きいてんだ、この爬虫類顔が。それにニジカをバカにするな。私の大切な馬だ」

 売り言葉に買い言葉。元来の気の強さが災いし、私はディエゴと馬術で競り合うことになってしまった。

 ニジカ(馬)は頑張ってくれたが、やはりプロの騎手には及ばない。

 追い詰められたその時だった。

 私は以前、「悪魔の手のひら」と呼ばれる不可解な地帯を知らぬ間に通過していた。高熱と幻覚に襲われ、意識が朦朧としたあの時は、死ぬかと思った。それを思い出したら。

 その時。体の中で、何かが弾ける音がした。

 視界が歪む。いや、違う。私の横に、何かが「浮いて」いる。

 それは、見慣れた形状をしていた。

 フェンダー・デュオソニック。ショートスケールの、扱いやすいエレキギター。ボディにはSTARRYのロゴステッカーが貼ってある。ピックも宙に浮いている。

 幻覚か? いや、はっきりと「在る」。

 私はそれを直感的に理解した。これは、この世界の理(ルール)が生み出した力。音楽機材になぞらえて……「スタンド能力」とでも呼ぶか。

 名前は……そうだな、私が守るべき場所の名前。「スターリー」でいい。

 ディエゴが嘲笑しながら幅寄せしてくる。

「落ちろ! 敗北者としてな!」

 私は無意識に、宙に浮く「スターリー」を構え、ピックを振り下ろした。

 ジャァァァン!

 アンプを通していないはずなのに、脳髄を揺らすようなディストーションサウンドが響き渡った。

 その瞬間、ディエゴの馬の脚がもつれた。

 ディエゴ自身の平衡感覚も狂ったのか、彼は無様に鞍から滑り落ち、地面に叩きつけられた。

「なっ……何が……!? 地面が……回って……」

 私のスタンド能力。「音」を浴びせた相手の三半規管を狂わせ、強制的に平衡感覚を奪う能力────らしい。

 ライブハウスで爆音を浴びすぎてフラフラになる客を見て思いついた……わけではないが、実に私らしい能力じゃあないか。

「ざまぁみろ。二度とうちのニジカを駄馬呼ばわりするなよ」

 私は冷たく言い放ち、「チクショウ!」と項垂れるディエゴを置いて先を急いだ。

       ☆★☆☆★☆

 そこからは怒涛の展開だった。

 ホット・パンツという男装の麗人と出会い、彼女が実は女性だと知って意気投合した。男所帯のレースにおいて、同性の存在は砂漠のオアシスより貴重だ。

「あんたも苦労してんだな」

「あなたこそ。……その、ギターのようなスタンド、興味深いわ」

 彼女とはいい酒が飲めそうだった。

 と言うか「スタンド」って共通言語だったのか? 後に知ったが、「立ち向かうもの(スタンド)」との偶然の一致らしい。これも運命(さだめ)というやつか。

 だが、運命は過酷だ。私は知らぬ間に「遺体争奪戦」の渦中に巻き込まれていた。

 現れたのは、ファニー・ヴァレンタイン大統領。しかもスタンド使い。

 この国のトップが、自ら前線に出てくるとかどうなっているんだ。この「遺体」とは本当になんなんだ?

 ホット・パンツと連携し、私は「スターリー」で大統領の平衡感覚を奪い、彼女が肉スプレーで拘束する。あと一歩、あと一歩まで追い詰めたはずだった。

「どジャアァぁぁぁ~~ン」

 ふざけた掛け声と共に、世界が裏返った。  大統領のスタンド「Dirty deeds done drat cheap(いともたやすく行われるえげつない行為)」……略して「D4C」。並行世界を行き来する能力のようだ。なんだそれは。ふざけてるのか。

 気づけば、私はドアと壁の隙間に挟まれそうになっていた。

「い、いつの間に……っ!」

 圧迫感。呼吸ができない。

 大統領の冷徹な眼差しが私を見下ろす。

「君の能力は厄介だ。だが、私の『正義』の前では無力」

 バン!!

 ドアが完全に閉まる衝撃。

「セイカっ!」

 ホット・パンツの叫び声が聞こえた気がした。

 意識が、暗転した。

       ☆★☆☆★☆

「……はっ!」

 ガバッと跳ね起きた。

 心臓が早鐘を打っている。全身に冷や汗をかいている。

 周囲を見渡す。

 見慣れた天井。散らかったテーブル。飲みかけの缶ビール。

 ここは、STARRYの三階、私の部屋だ。

 ソファーの上で、誰かが掛けてくれたであろうタオルケットを握りしめている。

 夢……?

 いや、あまりにもリアルだった。砂の感触、馬の体温、鉄球の風切り音、そしてドアに挟まれた激痛。

 枕元のスマホを手に取る。日付は二千二十二年。ロインの通知には、廣井からの『昨日は飲みすぎた~w 頭いてぇ~』というメッセージ。

 戻って……きたのか……?

 窓を開ける。下北沢の雑多な街並みが広がっている。荒野も、サボテンも、ハゲタカもいない。

 ガチャリ、とドアが開いた。

「あ、お姉ちゃんっ! やっと起きたの?」

 エプロン姿の虹夏が入ってきた。頭の上のドリトス────アホ毛がぴょこぴょこと揺れている。

 本物の虹夏だ。馬のニジカも可愛かったが、やはり妹が一番だ。

「……虹夏」

「もう、どんだけ飲んでるの。PAさんも廣井さんも酷かったけど、お姉ちゃんが一番潰れてたよ? 死んでるかと思った」

 虹夏の呆れた声が心地いい。

 やはり、夢だったのか。あの大冒険は、アルコールが見せた幻覚だったのか。

 ふと、右手に違和感を覚えた。

 あの感覚。悪魔の手のひらで掴んだ、あの能力。

 まさか、な。

 私は意識を集中させ、念じた。  

 ヴォン。

 空気が震え、私の手の中に「それ」は現れた。

 フェンダー・デュオソニックのヴィジョン。

「スターリー」。

 ある。触れる。確かに、ここに在る。

「わっ!?」

 突然、虹夏が何もないところで足をもつれさせ、派手に転んだ。

「いったぁ……! え、なに? 急に目眩が……」

「に、虹夏!?」

 私は慌てて駆け寄ろうとして、手に持った「スターリー」に気づく。

 無意識に、弦に指が触れていたようだ。音なき音が、虹夏の三半規管を揺らしてしまったのか。

「ご、ごめんっ!」

「え? なんでお姉ちゃんが謝るの?」

 虹夏は不思議そうに私を見上げる。彼女の視線は、私の顔に向けられており、抱えているはずのギターには全く気づいていない様子だ。

「え……お前、これ、見えてないのか?」

 私は「スターリー」を突き出す。

「これってなに? お姉ちゃんの手、なんか持ってるみたいに変な形になってるけど……まだ酔ってるの? もう、しっかりしてよ~」

 虹夏は立ち上がり、呆れ顔で腰をさすった。

 見えていない。

 やはり、これはスタンドだ。そして、私はその能力を持ったまま、元の世界に帰ってきたのだ。

 私はそっと能力を解除した。「スターリー」が霧散して消える。

 虹夏が部屋を出て行った後、私は再びソファーに沈み込んだ。

 夢じゃ、なかったのか。

 あの熱狂も、命のやり取りも、全て現実だったのだ。

 ホット・パンツは無事だろうか。ヴァレンタイン大統領を倒せただろうか。

 ジャイロやジョニィは、あの後どうなったのだろうか。無事にニューヨークへ着いただろうか。

 そして、戦場に置いてきてしまった愛馬ニジカ。きっと、大会運営に回収されて、いい飼い主の元で暮らしていると信じたい。

 ふと、自分の指先を見る。

 千二百ドルを稼いだ指先。ディエゴを落馬させた指先。大統領と戦った指先。

 ギターを弾くのは、いつぶりだっただろう。

 店長という立場に収まってから、裏方に徹することばかり考えていた。若い才能が眩しくて、自分の音楽から目を逸らしていた。

 でも、あのアメリカ大陸で、私は確かにミュージシャンだった。

 ジャイロとのセッションは、最高に楽しかった。

「……ま、悪くないか」

 私は小さく笑った。

 この能力「スターリー」は、誰にも見えないし、聴こえない。

 これなら、こっそり練習するのにうってつけだ。

 それに、使いようによっては便利だ。

 例えば、調子に乗った廣井が店で暴れそうになった時、こっそり平衡感覚を狂わせて転ばせてやるとか。

 うん、それはいいアイデアだ。

 それに、乗馬も初めてみようか。

 私はもう一度、スタンドを発現させた。

 指。見えないピックを握りしめる。

 まずはチューニングからだ。

 下北沢の空に、誰にも聴こえないロックンロールが響き始めた。

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 スタンド名「スターリー」

 破壊力    C

 スピード   C

 射程距離   B(十五m)

 精密動作性  A

 成長性    A