虹夏ちゃんがギターに目覚める

@Abe_shinzou / 更新: 2026/03/22 20:21
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 バンドの中でドラムって、やっぱり少し孤独だなって思うことがあったんだよね。みんなの一番後ろに座って、背中を見守りながらリズムで支える。それはすごくやりがいがあるし、大好きなあたしの居場所なんだけど。でも、たまにはみんなみたいに一番前に出て、自分の指でメロディを奏でてみたいなって、そんなふうにふと思ったんだ。

 だからあたし、ギターを始めてみることにしたんだよね! もちろん、ドラムの練習は絶対にサボらないよ? あくまでドラムがあたしの本業だし、結束バンドのリズム隊としての責任もあるからね。

 最初はね、みんなもすごく応援してくれたんだ。「虹夏ちゃんがギター! なんだか新鮮だね!」って喜多ちゃんは目をキラキラさせて喜んでくれたし、ぼっちちゃんも「ひ、弾き方なら、わ、私が教えますから……! い、いつでも聞いてください……!」って、いつもの挙動不審な感じで言ってくれたし。リョウも「虹夏のリズム感なら、案外いけるんじゃない?」なんて、珍しくまともな感想を言ってくれたっけ。みんな、あたしがちょっとした息抜きでギターを触るだけだと思ってたんだろうね。あたしも最初はそのつもりだったし。

 でもね、それから二ヶ月。自分でも信じられないくらい、あたしはギターという楽器にのめり込んでいたんだ。

 指の先は固く皮が厚くなって、最初はあんなに痛かった弦を押さえる感触が、今ではすごく心地いい。そして何より、弾けば弾くほど、ギターがあたしの身体の一部みたいに馴染んでいくのを感じたんだよね。もしかしてあたし、ギターの才能あったりして? なんて、最初は冗談半分で思ってたんだけど……。

 そして今日、スターリーのスタジオでの結束バンドの合同練習。あたしはみんなの前で、この二ヶ月間の成果を披露することにしたんだ。

 アンプにシールドを繋いで、電源を入れる。ジーッというかすかなノイズがスタジオの空気を震わせた。ピックを握りしめて、フロントピックアップに切り替えたギターの弦を軽く弾く。

 さあ、いくよ!

 あたしは思い切り右手を振り下ろした。ジャキッという鋭いカッティング音がスタジオに響き渡る。手首のスナップを利かせて、16ビートの裏の裏までジャストのタイミングでリズムを刻んでいく。ドラムで培ったメトロノーム並みの体内時計があるから、リズムキープは完璧。カッティングのキレは、誰にも負ける気がしない。

 そこから一気にエフェクターボードのオーバードライブを踏み込み、ゲインを上げる。クリーントーンから一転して、図太く歪んだディストーションサウンドが爆音で鳴り響く。あたしは指板を滑るように左手を動かし、チョーキングからのビブラートをかけた。弦が泣くような、エモーショナルなサスティーンが空気を震わせる。

 楽しい……! すっごく楽しい!

 ピックが弦を弾く感触、指板を縦横無尽に駆け巡る左手、アンプから飛び出してくる自分だけの音。スイープピッキングからタッピングへの移行も淀みなく、まるで最初から弾き方を知っていたかのように自然に指が動く。オルタネイトピッキングで速弾きのパッセージを刻みながら、あたしは夢中になって自分の世界に没頭していった。

 メロディを歌わせるように弾くのが、こんなに気持ちいいなんて知らなかったな。ドラムでリズムの土台を作ってきたからか、不思議とグルーヴ感が自然に出せるんだよね。スケールを駆け上がり、ハーモニクスでピッキーなアクセントをつける。プロ顔負けなんて言ったら図々しいかもしれないけど、今のあたし、間違いなくめちゃくちゃ上手いよ!

 あたしが夢中でギターをかき鳴らしている間、ふと視線を向けると、喜多ちゃんが顔面を蒼白にしてへたり込んでいた。

「伊地知先輩……? うそ、そんな……私の存在意義が、無くなる……」

 喜多ちゃんは虚ろな目で宙を見つめながら、そんなことを呟いていた。いやいや、喜多ちゃんはボーカルもできるし、あたしなんて歌は全然上手くないし、MCもクソつまらないんだからそんなことあるわけないじゃん! ……って心の中でツッコミを入れたけど、今の喜多ちゃんにはそんな現実的なことを考える余裕なんてなさそうだ。

 その隣では、リョウがベースを抱えたまま、無言で天に向かって合掌していた。リョウの心の声が聞こえてくる気がした。〝虹夏、頼むからベースには手を出さないでくれ……アーメン……〟みたいな。大丈夫だよリョウ、ベースまでやったら過労で死んじゃうから!

 そして、肝心のぼっちちゃんはというと。

「に、虹夏ちゃん……!?」

 いつものピンクジャージ姿のぼっちちゃんは、目を見開いてガクガクと小刻みに震えていた。完全にキャパオーバーを起こしたクソコミュ障特有の痙攣だ。目の前の現実を受け入れられないのか、白目を剥きかけている。

「ああああ、あわわわわ……私の、私の唯一のアイデンティティが……ギターヒーローとしてのプライドが、あああああ……!」

 自分より遥かに上手いギターを、たった二ヶ月で弾きこなすあたしを見て、ぼっちちゃんの脳内で何かが完全にショートしたらしい。ぼっちちゃんは奇声を上げてスタジオの中で大発狂し始め、次の瞬間───ボフンッ! という派手な音を立てて、文字通り爆散してしまった。

 煙が晴れた後には、床に崩れ落ちたピンク色のジャージと、虚しく残されたレスポール・カスタムだけが転がっていた。ぼっちちゃん、死んじゃった……。

 でも、ごめんねみんな。今のあたしは、この湧き上がってくる衝動を止めることができないんだ。エモいコード進行から、ペンタトニックスケールを使った泣きのソロへ。あたしはみんなの絶望を余所に、ただひたすらに自分のギターの音色に酔いしれ、笑顔で演奏を披露し続けていた。

 場所は変わり、スターリーの受付カウンター。

 PAは、モニター越しに第1スタジオの様子をじっと見つめていた。その目は驚きに見開かれている。

「虹夏さん、凄いですね~店長?」

 彼女ののんびりとした声掛けに、店長である星歌は眉をひそめて腕を組んだ。昔、自身も本気でギターをやっていた星歌の目から見ても、モニターから聴こえてくる妹のギターの腕前は異常だった。ピッキングの正確さ、フレージングの圧倒的なセンス、そしてドラム経験者ならではのえげつないグルーヴ感。

「……まだまだだな」

 星歌は鼻で笑い、精一杯の強がりを口にした。姉として、そして元ギタリストとしてのプライドと対抗心が芽生えていたのだ。しかし、その内心。

(やべー、絶対敵わねぇ……! なんだよあいつ、二ヶ月でプロ並みじゃねーか……!)

 妹の底知れぬ才能に軽く恐怖すら抱いていた。

「せんぱ~い、妹ちゃんすげーじゃん! ヒック……天才ギタリストの誕生だねぇ~!」

 星歌の横で、ずっとおにころのパックをストローでチューチュー吸っていた廣井きくりが、酒臭い息を吐きながらだる絡みをしてきた。星歌の肩に体重をかけ、ヘラヘラと笑っている。

「お前は引っ込んでろ、酒臭い」

 星歌は心底うざそうに顔をしかめ、きくりを力任せに引き剥がすと、そのまま受付の床にゴロンと転がした。

「あはは~、床が冷たくてきもちいい~……むにゃむにゃ……」

 きくりはそのまま床にへばりつき、一瞬で寝息を立て始めた。星歌は床で寝転がる酔っ払いを見下ろす。

(こいつまじで出禁にしようかな……)

 彼女は本気で殺意を抱いた。

 一方、PA。相変わらず微笑ましそうな表情でモニターを眺めている。

 モニターに映し出されている第1スタジオの光景は、控えめに言って地獄絵図だった。ボーカルギターは膝を抱えて絶望の淵に沈み、ベーシストは無言で神仏に祈りを捧げ、リードギターに至ってはピンクジャージと楽器だけを残して完全に死亡・爆散している。バンドとしての機能は完全に崩壊していた。

 しかし、その凄惨な地獄絵図の中心で、一人ギターをかき鳴らす虹夏だけは、満面の笑みを浮かべて本当に楽しそうにしているのだ。

「虹夏さん、楽しそうですね」

 PAがポツリと呟いた。

 星歌はため息をつき、再びモニターを見た。映っているのは相変わらずの地獄絵図に等しい惨状だが、確かに妹は、これまでにないくらい心の底から音楽を楽しんでいるように輝いていた。

「……ふん」

 星歌は短く鼻を鳴らした。

「虹夏が楽しそうならまあいいか」

 小さく呟き、どかっと受付の椅子に深く座り直した。

 モニター越しに漏れ聞こえる、圧倒的で暴力的なまでに美しいギターサウンド。それに合わせて体を揺らし、楽しそうにステップを踏みながら夢中で演奏を続ける虹夏。その笑顔は、バンドの崩壊など気にも留めないほどに、ただ純粋な音楽の喜びに満ち溢れていた。